俳句随想

2009年5月13日 (水)

俳句随想「ユーミンと俳句」

今回は久しぶりの俳句随想ということで、「ユーミンと俳句」という意表をつくテーマで書いてみたいと思います。

シンガーソングライターの松任谷由美(ユーミン)さんが前作から約3年ぶりに発表したというニューアルバムを聞く機会がありました。ただ、私が聞いた感じでは際立って良い曲はなかったように思います。3年ぶりに発表して、この程度なら、「ユーミンもさすがに枯れてきたなあ」との感があります。もっとも、これが並のアーティストなら、今回のニューアルバムも大変立派なものです。しかし、ユーミンともなれば期待も大きい。ユーミンは、荒井由美当時も凄かったですが、結婚してからは更にますます拍車がかかって新曲を次々と量産し、しかも、どの曲も何れ劣らぬ際立った名曲ばかり。本当に凄い人だと思います。

そして、私は今まではユーミンの作曲センスに卓越したものを感じていましたが、俳句を作るようになってから、あらためてユーミンの歌詞を聞いてみると、これもまた実に良い。俳句的な感性とセンスを感じさせる歌詞です。例えば、名曲「春よ、来い」。この歌詞の中には俳句の季語が色々と使われています。例えば、「沈丁花」とか、「蕾」とか、「花」。それに、「淡き光立つ俄雨」「いとし面影の沈丁花」「溢るる涙の蕾」「空を超えて・・・迎えに来る」「君に預けし我が心」。更には、「眼差しが肩を抱く」---こうした表現も俳句的で、しかも実に良いですね。この様な洗練された名曲を短期間のうちに数多く量産してきたのですから、もうただただ脱帽です。天才という表現は短絡的で、あまり使いたくはないのですが、やはり天才としか言いようがないですね。

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2008年12月11日 (木)

俳句随想 「ヒトではなく、人として」

今回は、いつもとは趣向を変えまして、「俳句随想」という形で、私が今日までの俳句への取組みを通して思ったことや感じたこと、気づかせて頂いたことなどを綴ってみたいと思います。

先日行われた私の所属する句会の定例会で、私は全く予想だにしていなかった好成績を収めさせて頂くことができました。大袈裟な言い方をすれば、「空前の好成績」と言ってよいかもしれません。とにかく驚きましたが、当の本人としては寧ろ困惑しているとでも言いますか、複雑な心境でもあります。と言うのも、私は自分の中で俳句に関する確たる知識やノウハウを備えているわけでは全くないからです。そうしたものが有れば、今回の結果に留まらず、今後もまたコンスタントに成績を挙げていける自信を持つことができます。しかし、今の私はそうではないので、「来月以降はどうなるのだろうか?」と不安な気持ちにもなります。

しかし、興奮から覚め、冷静になったところで考えると、私はある事に気づきました。と言うのも、私の仕事は、兄弟ブログ「明日の株式市場を読む」や「企業経営を守るブログ」からもご推察の通りで、経済アナリスト・兼・経営コンサルタントです。その私が俳句を始めて3年が経ちました。最初の頃は「俳句はカンタン」と高を括っていましたが、いざ実際にやってみると、とんでもありませんでした。私の作った俳句は「絵はがき俳句」と言われ、なかなか成績が上がらず、本当に悩ましい日々を過ごしておりました。

そうした中で、ふと感じたことがありました。実は、私は仕事柄、人を「ヒト」としか見ていない面があったように思います。ここで言う「ヒト」とは、「ヒト、モノ、カネ」の「ヒト」。つまり、私は人をビジネス活動を行う上での一要素にしか見ていない面があったのです。しかし、俳句を始めて、月日が経過する中で、私は人を「人」として見るようになってきました。つまり、人には、その人ひとり一人に日々の生活があり、その中でひとり一人が実に様々なことを思い、考えている。そこには嬉しいことや楽しいことだけではないはずです。苦しかったり、辛かったり、悲しかったりと、朝夕の通勤時間帯に最寄駅で行き交う雑踏の中のひとり一人に、それぞれの思い、心があるということが感じられるようになってきました。ならば、そうした人ひとり一人の心の琴線に触れるような俳句を作っていきたいと思いました。かの松尾芭蕉は「俳句を芸術にまで高めた人」と称されています。そして、「芸術は苦悩の叫び」とも言われます。私は、その万分の一にでも触れさせて頂く機会を、俳句を通して得られたことに感謝しています。

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