神の留守
神社では神様が留守にされると言われる、この時期。不在なればこそ、留守を任された側としては、ますます気合いが増そうと言うものです。
○神の留守なればますます気合い増す
ただ、神頼みも良いかもしれませんが、やはり何事も自分の力で切り開いていく気持ちが必要ですよね。
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神社では神様が留守にされると言われる、この時期。不在なればこそ、留守を任された側としては、ますます気合いが増そうと言うものです。
○神の留守なればますます気合い増す
ただ、神頼みも良いかもしれませんが、やはり何事も自分の力で切り開いていく気持ちが必要ですよね。
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今年も早、もう11月です。年内もあと2ヵ月足らず。年賀状の準備など、着地を意識し始める時節ですね。
○冬めきて着地を意識し始める
今年最大のニュースと言えば、やはり政権交代で民主党政権が誕生したことで決まりだとは思いますが、景気の方は年初に予想した通りとは言え、相変わらず低迷したままです。だだ年末には歳末商戦を迎えますので、ここで出来るだけ挽回したいところですね。
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いま人材派遣会社に日雇い派遣の仕事を求める声が殺到しているそうです。リストラされた中高年の人たちに加え、派遣切りされた非正規社員たちも流れ込んでいるそうで、日々の生活不安に頭を抱えている方たちが本当に多くおられると思います。
○寒厳しなれど先には光あり
しかし、先が見えない状況にあっても、先を明るく見て、希望を失わないことが大切だと思います。人生は良いこともなかなか長くは続かないですが、悪いことも長くは続かない。それもまた真実だと思います。それを信じて生きていく。自分を信じることが大切だと思います。
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私は子供の頃から冬に手袋を着ける習慣がありません。そして、今でも素手で過ごしています。そのせいか、小学生や中学生の頃にはよく手が悴んで、鉛筆で字を書こうにも字が書けない。そうした記憶が今でも残っています。しかし、現在ではそうした事で困る事は殆どありません。その理由は、やはり大人よりも子供の方が手が悴みやすいという点もあるかと思いますが、時代の進歩という点も大きいかと思います。
○今はもう悴める手が懐かしや
特に、インターネットやパソコンが大いに普及し、鉛筆やシャープペンで字を書く機会がかなり減っています。パソコンに文字や数字を打ち込んだりするのであれば、手が悴んでいても然程気にはなりません。もしかしたら、将来的には「悴む」という言葉は季語ではなくなってしまうかも・・・。今後の時代の更なる変化次第では、そうした事も起こり得るかもしれませんね。
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「寒念仏」とは、1年でもっとも寒さの厳しい小寒から節分までの30日間にわたり、鉦をたたき念仏を唱えながら諸所を巡回する一種の苦行とも言われます。
○寒念仏自ら求めし修行かな
こうした修行というのは気持ちの持ち方が問われているのでしょうね。つまり、僧侶とは言え、義務感では出来ない修行だとも思いますし、自分から積極的に求めていく姿勢でないと貫くのは難しいと思います。その先には、どの様な悟りがあるのでしょうか。
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今どき、独楽廻しをする子供などいないだろうなと思っていたら、先日、子供たちが賑やかに独楽廻しをしている所に出くわしました。
○風吹くも負けじと独楽をいざ投げん
私にとっては実に懐かしい光景です。独楽廻ししている子供も、凧揚げ、羽子板をしている子供も最近はめっきり見なくなりました。最近の子供は室内でテレビゲームなどをして遊ぶことが多いようですが、やはり子供は風の子、元気な子であってほしいですね。
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1月20日頃は大寒と言って、一年でも最も寒い頃と言われます。そして、寒中の水は薬になるとも言われ、また雑菌が少ないとされ、各地では味噌、醤油、酒づくりなどに利用され、餅をつくる地方もあるそうです。
○寒の水その一杯が身に沁みる
早朝に寒の水を飲めば五臓六腑に沁み渡る感じがしますし、修行僧は早朝に起きて、その一杯を頭からかぶります。寒の水には心身を浄化する力があるのでしょうね。
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今年は11日から大相撲の初場所がスタートしました。6日目が終わった時点で、朝青龍、白鵬の両横綱が6連勝。私は初日からの3日間で、朝青龍が1勝2敗か3連敗で、休場し、引退を表明するのではないかと思っていましたので、このシナリオは見事に外れました。一方、新大関の日馬富士がまさかの1勝5敗。先場所の強さからして思わぬ結果で、このままでは終わらないとは思いますが、これまた意外な結果です。
○初場所の賜杯を決する大一番
こうなったら、ぜひ両横綱の間で、真剣勝負の千秋楽・結びの大一番を賜杯を賭けてやってほしいものだと思います。
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今年の初詣は、地元の寺院にお参りに行きましたが、そのお寺では元日から護摩を焚いていました。お不動様の前で高僧が祈り込め、赤々と燃えあがる炎を見ていると、背筋が立ってくる思いがしました。
○元日の護摩に心を浄められ
この世は所詮、娑婆世界。浮世とは常に移り変わり、特に昨今の激動期に在っては、その変化が非常に激しいです。しかも、良い方に変わってくれれば有難いのですが、如何せん、痛みを伴う変化です。そうした中で、心を静寂に保つ時間を持つ。そうした事も生きる知恵として必要な事かと思います。
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読者各位
皆さま、本年のブログ記事は今日が最後となります。まだ立ち上げて間もないブログですが、多くの方々に訪れて頂き、またご愛顧いただきまして、本当にどうも有難うございましたm(__)m
来年は1月10日前後の始動を予定しております。
○皆さんの幸せ願ふ年の暮
今年は年末に向けて、非常に厳しい経済環境となりましたが、来年こそは一人でも多くの方々にとって良い年であってほしいという願いを込めて、末筆ながら年末のご挨拶とさせて頂きます。どうも有難うございましたm(__)m
里依
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12月の雨は寒いですね。もっと寒かったら雪になって然るべきなのかもしれませんが、寒いだけでなく暗いです。特に今年は経済環境の悪化で、世相も寒く感じるので、寒さがいっそう身に沁みる感じもします。
○人生の雨と重なる冬の雨
この句は、私自身、自分で作っておきながら、決して良い句とは思いません。何故ならば、やはり俳句というのは、それを読んだ方たちが明るい気持ちになるような句でないといけないと思うからです。ただ一方では、思わずこうした句を作ってしまいたくなる一面が私の中にあるわけでして、こうした一面に捉われているうちは、まだまだ私の修行も道半ばと言う感じが致します。
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今年はソニーや日産自動車といった日本を代表する大企業でも相次いで人員削減やリストラ策を発表し、年末に向けて厳しい年の暮となってきました。
○冬の空ワーキンクプアの白い息
「働けど、働けど、我がくらし楽にならず」とは石川啄木の「一握の砂」の「我を愛する歌」に在る短歌の一節ですが、一生懸命に働いているのに暮らしが楽にならないと言うのは本当に辛いことです。他事ではない、自分事と身につまされる思いがします。どうか来年こそは良い年であってほしい、一人でも多くの人が幸せになってほしいと願わずにはいられません。
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今年は10月以降、日経平均株価が急落し、年末に向けて大変厳しい経済環境になってしまいました。
○去年今年株価下がりて憂き世かな
去年今年は「こぞことし」と読みます。何か俳句というよりも川柳的な一句になってしまいました。しかも、本来、去年今年は1月の季語なのですが、年末に向けての実感として、この様な句が出来てしまいました。来年こそは良い年であってほしいと願わずにはいられませんが、逆にまたこうした時だからこそ、次の飛躍に向かって、今は焦らず欲張らず、着々と準備しておく時期だとも思います。
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次の句もまた天橋立周辺に出張した際に作った句です。
○初雪に急ぎタイヤを変えにけり
地方の出張先では、東京では味わえない地方色ならではの話を色々と聞かせて頂けるので、仕事で出向いているとは言え、それはそれで楽しみの一つです。特に京都府北部では「まだ雪は降らないだろう。大丈夫。スノータイヤに変えるのはまだ先にしようなどと思っていたら、急に雪が降り出してまして、あわててタイヤを交換しましたよ」といったこともよくある様子で、そうしたお話を聞かせて頂くと、そこには日本海に面した地方ならではの生活実感が伝わってきます。そして、こうした話を聞かせて頂くだけでも、何か人生の視野が広がった気がしてくるのです。俳句の旅はどこまでも続きます。
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次の句もまた、前回同様、天橋立で作った句です。
○水鳥の波に逆らふこともなく
天橋立は、約7,000本の松林が続く長さ3.2km(大天橋、小天橋)、幅20 mから付根が170mほどの砂嘴(さし、地学上では砂州)なのだそうです。その3.2kmを端から端まで歩いて、徒歩40~50分といったところでしょうか。幅20 mと言えば、25mプールよりも短いのですから、本当に両側が海の中の道を歩いている風情です。私が歩いた時は12月でしたが、天候も晴れで、穏やか。波の音がゆったりと流れていました。その波に乗りながら、水鳥たちが波に逆らうこともなく身を任せている姿を見て、私は「人生もかくあるべきか」と思いました。上の句は、そうした事を思いながら作った一句です。
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次の句もまた、前回同様、天橋立で作った句です。
○寒禽の天橋立燐と舞ふ
寒禽(かんきん)は渡り鳥、留鳥の区別なく、冬に姿を見せる小鳥の総称です。つまり、ひと言で言えば、冬の鳥のことです。寒さでふくれている小鳥たちを見ますと、「寒いだろうけど、頑張れよ!」と寒さに耐えている姿にエールを送りたくなりますし、寒さに負けず元気に活動している小鳥たちを見ていると、「自分も頑張らなくては!」という気持ちになってきます。そして、上に掲げた一句は天橋立の上空を力強く舞っている鳥たちの姿を見て作ったものですが、その悠然たる姿に私は深い感慨を受けました。定例会では選んで頂けませんでしたが、「そんな事はどうでもいい」と思わせてくれる一句だと思っています。
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「股のぞき」と言えば、天橋立。昨年は12月初に出張で京都府北部に行く機会があり、その際に初めて立ち寄った傘松公園から見る天橋立は本当に絶景でした。幸い天候にも恵まれ、傘松公園から広がる光景を凝視していると、本当に神々が降臨してきそうな不思議な感覚にもなりました。
○冬帝の天橋立股のぞき
私の中では、今でもこの句の感覚がフィットします。実際、京都府や宮津市では天橋立の世界遺産への登録申請を文化庁に願い出ているそうです。しかし、現実には夏季になると、天橋立周辺はビーチパラソルやタープが乱立した野放しの海水浴場と化すなど、到底「世界遺産」と呼べるような処置がなされいないそうです。そうすると、こうした現実を知っている方たちにとっては、やはり違和感のある句なのだと思います。実際、定例会でも選んで頂くことは出来ませんでした。
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次の句もまた、前回同様、昨年の一泊吟行会(丹沢大山国定公園・七沢温泉)で作った句です。
○冬めきて薄着を悔いる句会かな
前回の記事で紹介した句では「紅葉」という秋の季語を使っていましたが、それでも全然違和感がないくらいに紅葉が栄えていました。しかし、そうは言っても既に11月です。風や空気などは冬らしくなり、人の何気ないしぐさなどにも冬の訪れが感じられました。ですが、天気は良かったものの、その時の私はセーターしか着ていなかったのです。同行の皆さん、しっかり防寒着を着ておられる中で、私は冬支度の準備が十分でないまま旅行に来てしまったことを悔いました。それを一句にしてみたのですが、この句も句会に出して空振りでした。やはり冬支度の準備不足だったのは私一人だけだったのですから、共感して頂けなかったのも尤もだと思います。
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私の属している俳句の会では、毎年1回、一泊吟行会を行っています。毎月の吟行会は日帰りですが、年に1回こうした機会を持っています。そして、昨年の一泊吟行会は冬に入ってからの吟行でした。例年は秋に行われますが、昨年は冬紅葉をテーマにして、敢えて冬に行われました。ただ、幸い天候には恵まれて楽しい時を過ごすことが出来ました。場所は、丹沢大山国定公園・七沢温泉でした。
○ケーブルカー冬紅葉のスライドショー
道中、ケーブルカーに乗りましたが、ケーブルカーの中から見る冬紅葉はまるで立体パノラマを見ているかのようで、とてもきれいでした。その様子を一句にしてみたのですが、現地で行われた句会では誰からも選んで頂けませんでした。ただ、よく見ると、この句には色々と不備があります。まず、中七に当たる「冬紅葉の」が六文字しかありません。それに、下五に当たる「スライドショー」は字余りの感があります。これでは数多い出句の中では、自ずからはじかれてしまうのも止むを得ません。選句される皆さん、本当によく見ています。
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次の句は、テレビの時代劇によく出てくる場面を句にしたものです。
○神の留守社の下でにぎり飯
まだ幼い洟垂れ坊主が、イタズラをして何処かから盗んできた握り飯を社の下でムシャムシャと食っている場面。誰でもテレビの時代劇で一度や二度は見たことがある場面だと思います。けれども、この句も句会に出して、全く取ってもらえませんでした。何故かな?と考えると、やはりこの句も決して品のある句とは言えません。それに、この句を読んだ方が私と同じくテレビの時代劇の場面を思い起こしてくれるとは限らない。そうした事も、ダメだった理由として考えられます。そうすると、この句もまた私の独り善がりだったわけで、色々と反省させられます。
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俳句には品格や品位も必要。それを穢してはいけません。
○境内に鳥の糞おち神の留守
神社の境内では鳩が盛んに遊んでいます。人にも慣れ、近づくとやはり逃げますが、逃げ方にも余裕があります。多くの鳩が遊び、ですから糞もよく落ちています。その様子を「神の留守」という季語を使って、私としては洒落たつもりだったわけです。「境内に鳥の糞おち神の留守」---つまり、神様が留守をされている間に、境内は鳥の糞でいっぱいになってしまいましたよ、と。しかし、この句も定例会に出して、全然ダメでした。選者の先生に教えて頂くと、「俳句には品格や品位というものがあって、それを落とすような句を作ってはいけません」と。なるほど、ひとつ勉強になりました。
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今回は、くど過ぎる一句をご紹介します。
○木の椀に木の匂ある大根汁
この句は私がかつて小さな旅をした際に、地元の方から出して頂いた木の椀に入った大根汁を思い出して作った句です。私としては、よく煮えた大根と、そこに木の椀から醸し出される木の匂とが絶妙な調和を見せているような感じがして、その様子を一句にしたつもりでした。しかし、この句もまた定例会に出して、誰からも選んで頂けませんでした。定例会が終わった後の感想として指摘されたのは、「木の椀に木の匂がするのは当たり前なので、くど過ぎる。俳句は五七五の十七文字しかない世界なので、くど過ぎる表現をしたのでは字数がもったいない」と言うものでした。なるほど、言われてみれば確かにその通りで、「俳句は難しいなあ」と思った次第です。
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今回は、私にとっては盲点の一句、つまり指摘されるまでは全く盲点に気づかなかった一句をご紹介します。
○独り居のとなりの家は大根煮る
この句は私が家で仕事をしていた時に、隣の家から家庭的な大根を煮ているらしき匂いがしてきたので、その場面を私なりに一句にまとめたものです。私は未だに独身で、独身で居ることの一抹の寂しさと、一方で家庭という団欒の中で色々な会話があって楽しい雰囲気であろうお隣さんとの対照性を、この句の中に込めたつもりでした。しかし、この句も定例会に出して全く選ばれませんでした。ですが、定例会が終わった後に、友人から全く予想もしなかったことを指摘されました。「この句は良いなって思ったけど、独り居なのは自分の家なのか、それとも隣の家なのか?どちらにでも取れるので、敢えてパスした」と。そう言われて、私も思わず、「あっ」と声を上げました。確かに指摘の通りで、返す言葉もありませんでした。やはり俳句というのは何度も読み直すだとか、時間を置いてから見直すだとかして推敲を重ねないとダメなんですね。あらためて、そう思いました。
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当ブログの書き起こしとして、今月は11月ですから「神無月」という季語を使った一句からスタートしたいと思います。
○絵の前に一人きりなり神無月
この句は11月の定例会で誰からも見向きもされなかった句です。「数ヶ月前までは、この絵の前にも多くの人たちが集まっていたのに、今こうして寒くなり、冬の気配が色濃く感じられる中で、この絵を見ているのは自分独り・・・」。こうした哀愁を句にしたつもりでしたが、ダメでした。ですが、やはり選んで頂けなかったという事は、この句自体に何処か独り善がりなところもあるのかもしれないし、この句に込めた思いが選句された方たちに伝わらなかった事もあると思います。しかし、何よりも数多くの句の中の一つとして、この句が入ってゆくと、もう一つ妙味が無いと言いますか、この句自体に他を引きつける力が欠けている様に思いました。なので、one of themとして埋没してしまう。こうした点が反省点です。
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