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2009年4月

2009年4月29日 (水)

杉の花

杉花粉症は日本で最も多い花粉症で、国民の15%が患っているとも言われています。私自身は幸いにして花粉症にはあまり縁がないのですが、ただ周りを見ていると、ここ数年、特に花粉症が問題視されている様な気がしています。

○杉花粉今に始まることでなし

少しネットで調べてみますと、例えば東京都では1980年代後半より花粉症対策検討委員会を、1998年からはアレルギー性疾患対策検討委員会を設けるなど独自に花粉症・アレルギーに関する研究や施策を行ってきたそうですが、2006年度より急遽、事業化がスタートしています。それに関して、東京都の石原知事は2006310日の知事会見で「私、今まで花粉症じゃなかったけど、去年あるときなってから、急きょ、問題意識が。人間てそんなもんだよ」と、それまで花粉症とは縁のなかった石原知事が2005年に花粉症にかかったことが契機となって事業化が具体的になったことを認める発言をしたそうです(出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)。面白い話ですね。

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2009年4月26日 (日)

春の空

柔らかく、やさしい感じがする春の雲。その白雲がほのかに流れ、また雲のないときでも、どことなく白い色を含んだ温かい感じがする春の空。その空を見上げていると、人生の様々な出来事も全て承知の上で、私たちに和やかな日差しを照らしているかのように感じられます。

○人生の流転も承知春の空

私もまた春の空の如く、人にやさしく、和やかでありたいと思います。

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2009年4月23日 (木)

春の雲

春の雲は薄く空一面に広がっている風情で、存在感が夏の積層雲・積乱雲、秋のいわし雲に比べて薄い感じがします。しかし、その分、柔らかく優しい感じがしますね。

顧みて幸せ思ふ春の雲

春の雲の柔らかさ、そして優しさは、人の心の温かさ・優しさにも通じるものがあって、人の心をいやしてくれる雲だと思います。

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2009年4月20日 (月)

春の風

いつだったか、風が強い日がありましたね。春の夜長に、風の音だけがビュービューと響いてました。そういう音を聞きながら、私は自宅で仕事してました。私の自宅はビルの3階です。

春風やビルの谷間で威勢良く

ビルというのは人工的につくられた建造物ですが、そのビルによって風の流れが阻害されると、風は進みやすい場所を求めて、ビルの谷間の風の勢いが増す。なので、風の音は強くなる――風の音を聞きながら、そんなことを思ってました。この考えで正しいかどうかは分かりませんが、そういう理屈で風の音が強くなっているんじゃないかなあ、と感じてました。

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2009年4月17日 (金)

春の夜

今年の巨人。4月16日現在で、11戦6勝3敗2引分の首位。2連敗の後、引き分けを挟んで、6連勝。最初はどうなるかと思いましたが、原監督はWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の優勝監督ですから、その手腕に期待したいと思います。

春の夜や巨人の星は此処にあり

落合監督率いる中日ドラゴンズも2位と好位置をキープしており、阪神タイガースは少し出遅れたようですが、今年もプロ野球ファンを楽しませてくれる好勝負・好プレーを期待したいものです。

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2009年4月14日 (火)

長閑

今回もまた、感謝シリーズの第3弾といった感じです――先日は大きな丸いお月さんが出ていて、本当にきれいでした。いかにも月の中でウサギが餅つきをしているかのような風情で、こうした月を見ることができたことに感謝したくなりました。

長閑なる日を賜りて感謝なり

長閑の「長」は日の長さを表すとも言われていますが、そう言えば、最近は本当に日も長くなってきましたね。

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2009年4月11日 (土)

春の日

長い冬が通り過ぎて、漸く春がやってきたと実感できる今日この頃ですね。経済情勢もこうあってくれると有難いのですが、せめて気候だけでも麗らかになってくれると、それだけでも気分が随分と違うものです。

春の日に感謝感謝の日射しかな

気分を明るくしてくれる春の日射し。思わず感謝の心が湧いてきました。

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2009年4月 8日 (水)

うららか

5回シリーズでお送りした「俳句の詩精神を考える」。いかがだったでしょうか。俳句は「極楽の文学」とも言われるそうですが、自らの心の内から湧き上がる感動や感激を詠ずるという意味では、確かにそうだと思います。その意味で、今日の一句――今年は3月末から4月に入っても、「えっ、ほんと?」と感じるくらいに意外と寒かったですね。そうした中で、漸くうららかな天候を頂けるようになった感謝を一句にしてみました。

うららかな日を頂きて感謝なり

今回から、また通常の作句に戻ります。今後とも宜しくお願い致します。

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2009年4月 5日 (日)

長谷川零余子

今回は「俳句の詩精神を考える」シリーズの5回目。最終回です。そして、最終回に取り上げるのは、俳人・長谷川零余子。俳人・長谷川零余子について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には次の様に記されています---明治から昭和初期にかけて活躍した俳人。東京大学薬学科専科を卒業。高浜虚子に師事。「ホトトギス」の編集に従事。1916年、「枯野」を創刊。立体俳句を提唱する。東大卒のキャリアを感じさせる幾何学的な俳風で、知識人層の支持を得た。1928年、41歳の若さでこの世を去った。

この長谷川零余子について、「飯田蛇笏集成第七巻 評論・紀行・編纂」(飯田龍太監修、角川書店)137頁には、長谷川零余子の処女句集「雑草」に零余子が自序した記述が紹介されています。

(以下、引用開始)

俳句は表現にあるとか、又は技巧にあるとかいう仮定的な言葉は私には全く空虚な響きの外に何ものも与えない。天然の自然界に言葉がないように人間にも言葉というものがなかったなら幸である。そうして花のように美わしく、鳥のように喜ばしく楽しみ多い日が、自分にも恵まれたら有難かった。そのなかに生きて死ねばよかったのである。表現とか技巧の優劣とか言葉の綾で出来たものが俳句の価値を定めるというような不純な考えをもっている間は、自然というものの偉大さも、その尊敬も了得される筈のものではなかろうと思う。表現とか技巧とかという技術を私は知らない。又知りたいとも思っていない。自然を知ることを生涯の努めとして、そこに生れる俳句があったなら、それを書きとめて満足する。

(引用終わり)

こうした精神性というものには私も非常に共感します。俳句は競争や優劣を決するために作るのではなく、自分の心から湧きあがった思いや、感動を一句にまとめることが出来たなら、もうそれで十分だと思います。ただ、そうした感動を単に自分だけのものとはせず、いかに他にも味わって頂けるように伝えるか。そこに腐心と工夫の余地があると思っています。

いかがだったでしょうか?。5回シリーズでお伝えした今回の企画でしたが、多少なりとも読者の皆様のご参考になれば幸いです。俳句を趣味とするか、芸術とするかは、その人次第だと思います。趣味であれば自己満足で十分ですし、それもまた良し。しかし、芸術にまで高めたいと思うのであれば、自己満足の域を脱して、いかに他に味わい深く伝えるかに腐心しなければなりません。私もそこに向けて、日々努力精進していきたいと思っています。

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2009年4月 2日 (木)

物象観入

今回は「俳句の詩精神を考える」シリーズの4回目。下記の文章は、「飯田蛇笏集成第七巻 評論・紀行・編纂」(飯田龍太監修、角川書店)335頁からの抜粋です。ここでは、沢山の句を作るように心掛けることが俳句の上達法なのか?。その問いに対する蛇笏の考え方が書かれています。

(以下、引用開始)

熱心のあまりなかなか沢山の数を寄せてくる作者がよくある。それも必ずしも結構でないとは云わない。正岡子規に或る人が俳句の上達法を訊ねた。すると、子規はそれに答えて、兎に角沢山俳句を作りなさいと云ったということを頭初にも述べた。まことにこれは簡潔な答えで意味深いものが存するわけで、説明や理窟ばかり達者で、実作にたずさわらないことにはどうしようもないのである。そういうわけで兎に角、理窟抜きで一生懸命実作に当たるということは最善の途であるに違いない。

私は毎月多くの句稿を見ているが、信濃の某青年の如きはそうした点で、まことに親愛の情がよせられる側の一人だ。熱心さのあまり実に沢山の句を作るようである。

いま云う通り、このことは一通り結構なことであるに違いないが、そうした熱心さに、もう一つ考慮を加え、作ることを急がず、数を上げるに慌てることなしに、大いにゆったりと心を構えて、天地自然の風物に対し、じっと深く観入することを、心掛けてもらいたいと思う。ものの皮相な見方ではいくら沢山の数を得たところで、結局みな中途半端なものが多くなりがちなものである。深く物象に観入することを心掛け、而もその思いを出来るだけ内に潜めて詠みいづることが出来れば、それこそ上乗の作品たるを得るのである。

(以上、引用終わり)

諺に「ヘタな考え休むに似たり」とあります。いくら数多く作句しても、中途半端な考えの下では中途半端な句しか出来ません。それもまた私の経験則です。なので、今の私はあまり数多く句を作ることはしていません。定例会に出す句は7句ですが、それに対して私が作る句はせいぜい710句程度。私は数多く作ることよりも、前回のブログ記事でも申したように、時間を味方につけることの方が大切だと思っています。それに、俳句を作るのに俳句の研究ばかりするのもいかがかと思っていまして、私は俳句以外にも宇宙・生命・仏教といったものにも関心があって、この勉強を通して得た感覚が俳句を作る際に役立っていると感じています。

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