今回は、いつもとは趣向を変えまして、「俳句随想」という形で、私が今日までの俳句への取組みを通して思ったことや感じたこと、気づかせて頂いたことなどを綴ってみたいと思います。
先日行われた私の所属する句会の定例会で、私は全く予想だにしていなかった好成績を収めさせて頂くことができました。大袈裟な言い方をすれば、「空前の好成績」と言ってよいかもしれません。とにかく驚きましたが、当の本人としては寧ろ困惑しているとでも言いますか、複雑な心境でもあります。と言うのも、私は自分の中で俳句に関する確たる知識やノウハウを備えているわけでは全くないからです。そうしたものが有れば、今回の結果に留まらず、今後もまたコンスタントに成績を挙げていける自信を持つことができます。しかし、今の私はそうではないので、「来月以降はどうなるのだろうか?」と不安な気持ちにもなります。
しかし、興奮から覚め、冷静になったところで考えると、私はある事に気づきました。と言うのも、私の仕事は、兄弟ブログ「明日の株式市場を読む」や「企業経営を守るブログ」からもご推察の通りで、経済アナリスト・兼・経営コンサルタントです。その私が俳句を始めて3年が経ちました。最初の頃は「俳句はカンタン」と高を括っていましたが、いざ実際にやってみると、とんでもありませんでした。私の作った俳句は「絵はがき俳句」と言われ、なかなか成績が上がらず、本当に悩ましい日々を過ごしておりました。
そうした中で、ふと感じたことがありました。実は、私は仕事柄、人を「ヒト」としか見ていない面があったように思います。ここで言う「ヒト」とは、「ヒト、モノ、カネ」の「ヒト」。つまり、私は人をビジネス活動を行う上での一要素にしか見ていない面があったのです。しかし、俳句を始めて、月日が経過する中で、私は人を「人」として見るようになってきました。つまり、人には、その人ひとり一人に日々の生活があり、その中でひとり一人が実に様々なことを思い、考えている。そこには嬉しいことや楽しいことだけではないはずです。苦しかったり、辛かったり、悲しかったりと、朝夕の通勤時間帯に最寄駅で行き交う雑踏の中のひとり一人に、それぞれの思い、心があるということが感じられるようになってきました。ならば、そうした人ひとり一人の心の琴線に触れるような俳句を作っていきたいと思いました。かの松尾芭蕉は「俳句を芸術にまで高めた人」と称されています。そして、「芸術は苦悩の叫び」とも言われます。私は、その万分の一にでも触れさせて頂く機会を、俳句を通して得られたことに感謝しています。