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2008年11月

2008年11月30日 (日)

冬めく

次の句もまた、前回同様、昨年の一泊吟行会(丹沢大山国定公園・七沢温泉)で作った句です。

○冬めきて薄着を悔いる句会かな

前回の記事で紹介した句では「紅葉」という秋の季語を使っていましたが、それでも全然違和感がないくらいに紅葉が栄えていました。しかし、そうは言っても既に11月です。風や空気などは冬らしくなり、人の何気ないしぐさなどにも冬の訪れが感じられました。ですが、天気は良かったものの、その時の私はセーターしか着ていなかったのです。同行の皆さん、しっかり防寒着を着ておられる中で、私は冬支度の準備が十分でないまま旅行に来てしまったことを悔いました。それを一句にしてみたのですが、この句も句会に出して空振りでした。やはり冬支度の準備不足だったのは私一人だけだったのですから、共感して頂けなかったのも尤もだと思います。

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2008年11月29日 (土)

紅葉燃ゆ

次の句もまた、前回同様、昨年の一泊吟行会(丹沢大山国定公園・七沢温泉)で作った句です。

紅葉燃ゆせんべい食ひて歩く道

昨年の一泊吟行会は既にご案内したように、11月に入ってから行われましたが、それでも紅葉が本当にきれいでした。デジタルカメラを持参していれば良かったのですが、生憎ケータイのカメラしか持っていなかったので、その風情を伝えるような良い写真は撮れませんでした。その点は残念ではありましたが、参道で売られていた実に大きな丸い煎餅を頬張り、左右に美しい紅葉を見ながら坂道を下って行くのはとても贅沢なひと時だったと記憶しています。その情景を自分になりに一句にしたのが冒頭の句ですが、残念ながらこの句も句会では選ばれませんでした。しかし、選ばれなくても、この句を見ただけで、私には当時の光景が思い起こされます。それだけで十分だと思っています。

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2008年11月27日 (木)

冬紅葉

私の属している俳句の会では、毎年1回、一泊吟行会を行っています。毎月の吟行会は日帰りですが、年に1回こうした機会を持っています。そして、昨年の一泊吟行会は冬に入ってからの吟行でした。例年は秋に行われますが、昨年は冬紅葉をテーマにして、敢えて冬に行われました。ただ、幸い天候には恵まれて楽しい時を過ごすことが出来ました。場所は、丹沢大山国定公園・七沢温泉でした。

ケーブルカー冬紅葉のスライドショー

道中、ケーブルカーに乗りましたが、ケーブルカーの中から見る冬紅葉はまるで立体パノラマを見ているかのようで、とてもきれいでした。その様子を一句にしてみたのですが、現地で行われた句会では誰からも選んで頂けませんでした。ただ、よく見ると、この句には色々と不備があります。まず、中七に当たる「冬紅葉の」が六文字しかありません。それに、下五に当たる「スライドショー」は字余りの感があります。これでは数多い出句の中では、自ずからはじかれてしまうのも止むを得ません。選句される皆さん、本当によく見ています。

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2008年11月25日 (火)

神の留守②

次の句は、テレビの時代劇によく出てくる場面を句にしたものです。

神の留守社の下でにぎり飯

まだ幼い洟垂れ坊主が、イタズラをして何処かから盗んできた握り飯を社の下でムシャムシャと食っている場面。誰でもテレビの時代劇で一度や二度は見たことがある場面だと思います。けれども、この句も句会に出して、全く取ってもらえませんでした。何故かな?と考えると、やはりこの句も決して品のある句とは言えません。それに、この句を読んだ方が私と同じくテレビの時代劇の場面を思い起こしてくれるとは限らない。そうした事も、ダメだった理由として考えられます。そうすると、この句もまた私の独り善がりだったわけで、色々と反省させられます。

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2008年11月23日 (日)

神の留守①

俳句には品格や品位も必要。それを穢してはいけません。

境内に鳥の糞おち神の留守

神社の境内では鳩が盛んに遊んでいます。人にも慣れ、近づくとやはり逃げますが、逃げ方にも余裕があります。多くの鳩が遊び、ですから糞もよく落ちています。その様子を「神の留守」という季語を使って、私としては洒落たつもりだったわけです。「境内に鳥の糞おち神の留守」---つまり、神様が留守をされている間に、境内は鳥の糞でいっぱいになってしまいましたよ、と。しかし、この句も定例会に出して、全然ダメでした。選者の先生に教えて頂くと、「俳句には品格や品位というものがあって、それを落とすような句を作ってはいけません」と。なるほど、ひとつ勉強になりました。

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2008年11月20日 (木)

大根の句②

今回は、くど過ぎる一句をご紹介します。

木の椀に木の匂ある大根汁

この句は私がかつて小さな旅をした際に、地元の方から出して頂いた木の椀に入った大根汁を思い出して作った句です。私としては、よく煮えた大根と、そこに木の椀から醸し出される木の匂とが絶妙な調和を見せているような感じがして、その様子を一句にしたつもりでした。しかし、この句もまた定例会に出して、誰からも選んで頂けませんでした。定例会が終わった後の感想として指摘されたのは、「木の椀に木の匂がするのは当たり前なので、くど過ぎる。俳句は五七五の十七文字しかない世界なので、くど過ぎる表現をしたのでは字数がもったいない」と言うものでした。なるほど、言われてみれば確かにその通りで、「俳句は難しいなあ」と思った次第です。

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2008年11月16日 (日)

大根の句①

今回は、私にとっては盲点の一句、つまり指摘されるまでは全く盲点に気づかなかった一句をご紹介します。

○独り居のとなりの家は大根煮る

この句は私が家で仕事をしていた時に、隣の家から家庭的な大根を煮ているらしき匂いがしてきたので、その場面を私なりに一句にまとめたものです。私は未だに独身で、独身で居ることの一抹の寂しさと、一方で家庭という団欒の中で色々な会話があって楽しい雰囲気であろうお隣さんとの対照性を、この句の中に込めたつもりでした。しかし、この句も定例会に出して全く選ばれませんでした。ですが、定例会が終わった後に、友人から全く予想もしなかったことを指摘されました。「この句は良いなって思ったけど、独り居なのは自分の家なのか、それとも隣の家なのか?どちらにでも取れるので、敢えてパスした」と。そう言われて、私も思わず、「あっ」と声を上げました。確かに指摘の通りで、返す言葉もありませんでした。やはり俳句というのは何度も読み直すだとか、時間を置いてから見直すだとかして推敲を重ねないとダメなんですね。あらためて、そう思いました。

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2008年11月11日 (火)

神無月の句

当ブログの書き起こしとして、今月は11月ですから「神無月」という季語を使った一句からスタートしたいと思います。

○絵の前に一人きりなり神無月

この句は11月の定例会で誰からも見向きもされなかった句です。「数ヶ月前までは、この絵の前にも多くの人たちが集まっていたのに、今こうして寒くなり、冬の気配が色濃く感じられる中で、この絵を見ているのは自分独り・・・」。こうした哀愁を句にしたつもりでしたが、ダメでした。ですが、やはり選んで頂けなかったという事は、この句自体に何処か独り善がりなところもあるのかもしれないし、この句に込めた思いが選句された方たちに伝わらなかった事もあると思います。しかし、何よりも数多くの句の中の一つとして、この句が入ってゆくと、もう一つ妙味が無いと言いますか、この句自体に他を引きつける力が欠けている様に思いました。なので、one of themとして埋没してしまう。こうした点が反省点です。

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